拙著
「グラウンド・ゼロ」の<終わりに>をもう一度読み直してみました。
おわりに
同時多発テロが起きてから、早いものでちょうど半年が過ぎた。
いいことはなにもなかった2001年。33年間の人生で最悪の年だった。
2002年がどういう年になるのか、それはわからない。
この文章を書いている今、私はニューヨーク発成田行きの機内にいる。
テロ以降、もう何度も日本とアメリカを往復している。
機内は相変わらず空席が目立つ。
これ幸いと私はエコノミー席の真中をとり、前後左右の九席を独り占めする。
ファーストクラスよりも広々とした空間を確保し、身体を伸ばしてぐっすり眠るのだ。
テロ前までは、いつもビジネスファースト席に乗っていた。今ではエコノミー席になった。
自分の商売の落ち込みに合わせて座席のランクも下がる。
社員にコーヒー代をおごってもらうこともある。
自分でも「ごちそうさん」が言えるようになって驚いてもいる。
「飯食いにいくぞ」と社員に言うと、「社長、お金は大丈夫ですか」と聞かれることにも
慣れてしまった。
精神的にも裸になって楽になった。ピリピリしていた気持ちが穏やかになるにつれ、11月まではやしていたヒゲも剃った。
プライドを捨て、裸になれただけでも、私にとって大きな収穫だ。
素直になれたことを自分で喜びたい。
それでも、今もときおり夢にうなされる。
9月のテロ以降、私はグランド・ゼロの場所へなかなか行くことが出来なかった。
実際にあの場所へ足を運んだのは、12月に入ってからだ。
もっと早いうちに行くことも可能だっただろう。
しかし、私にはできなかった。
なぜなら、あの9月11日に起きた出来事が私にとってある種のトラウマになっているからだ。
単なる感傷ではない。最悪だった九月中旬前後の自分を思い出してしまうからだ。
あのテロと連動して、苦しくつらかったころの記憶がよみがえる。
それはちょうど湾岸戦争の時、空襲警報でショック死した老人たちのトラウマのようなものだ。
よくうなされる夢では、リストラした従業員が現れる。
私のあとをつけてきた彼に「どうしてついてくる」と聞くと「昔言ったことと違うじゃないか」と
なじられる。
そんな夢を何度も見た。
実際、この原稿を書いている最中にも、借金取り立ての電話が何本か入った。
9月11日のニューヨークの青い空。
航空機がWTCへ突っ込んでいく映像。そして「オー・マイ・ゴット!」の悲鳴……。
そんな記憶が私の中で苦しいトラウマになっていた。
だから、グランド・ゼロに初めて行くのに3か月もかかったのだ。
東京では会う人々がマンハッタンの様子を尋ねてくる。
私はなるべく正確に今を伝えようと言葉を選ぶ。
ある人が言った。
「ようするに高層ビルが二つ倒れたってことだろ? 新宿の高層ビルが二つ倒れたようなもんだろ? それがどうしてアメリカ経済や君のビジネスに影響するんだ?」
ある人はまったく別のことを言う。
「マンハッタンは壊滅的らしいな。当分近づかないほうがいいだろう。アメリカ経済も立ち直るには相当の時間が必要だ」
残念ながらどちらも正しくない。
マンハッタンは死んでなどいない。
クリスマスのロックフェラーセンターには、いつもどおり巨大なクリスマスツリーが飾られ、
その下ではアイススケートを楽しむ子供たちの笑い声が絶えない。
五番街もクリスマスのイルミネーションに彩られ、買い物客でにぎわっている。
チャイナタウンは真っ直ぐ歩けないほどごったがえし、リトル・イタリーなど「何事が起きたのか」とビックリするくらいのにぎわいだ。
私の会社があるソーホーも、たくさんの観光客であふれかえっている。
2000年のクリスマスとは、比べものにならないほど多くの人がニューヨークに来てくれた。
クリスマス商戦もかなりの盛り上がりを見せた。
大晦日のタイムズスクエアには、例年と同じほぼ五十万人がカウントダウンのために集まった。
セントラルパークはジョギングに汗を流す人や犬を散歩する人々で賑わい、ミッドタウンでは働くビジネスマンが闊歩している。
ブロードウェーは今も数々のミュージカルが華やかな舞台を演出している。
マンハッタンは廃墟と化したわけでも、ゴーストタウンになったわけでもない。
ツルミ教授の言葉を借りるならば、「我々日本人が憧れるニューヨークの魅力は、何一つ失われていない」のだ。
事実は「二つの高層ビルが倒れた」だけかもしれないが、その影響は計り知れない。
実際、一度に数千人にもの犠牲者を出した例は過去にない。
空港閉鎖も、証券取引所の閉鎖も、そしてメジャーリーグの中止も前代未聞だ。
その意味でアメリカ人は、過去の大戦以上のダメージを受けたといえる。
そして2001年初めから下方傾向にあったアメリカ経済への影響も軽視できない。
マックスコンサルティングの名倉社長の言うとおり「止めを刺された」企業も少なくない。
日本で今、テロ後のニューヨークがどのように報道されているのか、私は部分的にしか知らない。
だが私が出会う人たちの発言を聞き、ガラガラの飛行機に乗るたびに、誤った認識が広がっているのではないかと心配になる。
日本人はテロ以降、海外出張や海外旅行を自粛し、小さな島国にとじこもってしまった。この発想は、鎖国時代とまったく変わっていない。
ニューヨークの景気は確実に戻ってきている。目先の景気は悪くとも先に希望が見え始めた。
アメリカ人本来の明るさが社会を活気付かせている。一方で日本はまだまだ出口の見えない不況の中にいる。
アメリカ人の友人は、十年も続いている日本の不況を英国に例える。英国の長い不景気は、それがあたりまえになってしまった。
ニューヨークを励ましに来てほしい。もしかしたら逆にニューヨークカーの明るさに元気づけられるかもしれない。
2001年のクリスマスイブ。
いつもなら心うかれる時期であるが、私は日本で2冊の倒産、自己破産についての本を購入した。
あのころの私は真剣に破産について考えていた。
結局おそろしくて読むことは出来なかったが、そこまで弱気になることもあった。
今回、日本に向かうためにスーツケースを開けると、この2冊の本がぼろっと出てきた。
もう二度とあきらめない、この本を決して開かないことを自分に誓う。
この本を読んで、少しでもマンハッタンの今を理解していただけたらと思う。
そして現実を自分の目で確かめようと立ち上がっていただけたなら、この上ない喜びだ。
ニューヨークはいつでも皆さんを待っている。
2002年3月11日
板越ジョージ
あの日私は、川向こうのNJの自宅ベランダより倒壊の一部始終を見ていました。
元気を振り絞り、この本を書いたが、
2002年夏以降は、予想以上に、生活はますます苦しくなった。
会社倒産に伴い、
信用の失堕、激しい借金の取立て、事務所の強制退去、鬱病、一家離散など。。。
常に死場を探していた自分がいた。
しかし、5年かかりましたがやっと1ヶ月前に完全に
「気持ち」が戻りました。
この5年、本当に頑張ってきてよかった思う。
「人生に偶然はない」
すべてを受け入れて、これからも一生懸命に生き抜きます。
本当にここまで支えてくれた、家族、友人、社員、取引先、投資家の方々等
この場を借りて、たくさんの方に心より感謝を申し上げます。
自分ひとりの力では何もできませんでした。
最後に、亡くなられた方々には、心からご冥福をお祈りいたします。