WTCでは93年にも爆弾テロが起きている。あのときはエジプト人らのテロリストグループが地下駐車場に爆弾が仕掛けられ、6人が死亡、千人以上が負傷をした。
あの事件以降、WTCの警戒は厳しくなっていた。警察官がビル周囲にはたくさんいて、出入りする人間をチェックしている。
ビルに入るためには、まず身分証を提示し、訪ねる先に電話をして了解を取って初めて入館パスが出される。そのパスを胸につけて入らなければならない。
WTCはセキュリティの非常に厳しいビルのひとつだ。いかに凶悪なテロリストといえども、再び攻撃することなど出来ないと思っていた。
ところが、煙を上げながら燃え上がっている眼前の光景は現実のものだ。私は自分の目を疑った。にわかには信じがたく、まるでハリウッドの映画か何かを見ているような錯覚に襲われたりもした。
テレビのニュースでは、2機目の突入後から「Attack(攻撃)」という言葉を頻繁に使い始めた。それから数分後、今度は燃え上がるペンタゴン(国防総省)の映像が映し出された。
川向こうのWTCを覆っていた黒い煙は、やがて赤い炎に変わり、そして、崩れ落ちた。
ニューヨークの象徴とも言うべきWTCが、目の前で姿を消した。まばゆいばかりの青空が、みるみる黒煙に覆われていく。
WTCの近くには私の会社の監査法人が入っているビルがある。また取引先の多くが、ミッドタウンなどに比べて比較的家賃が安いあのあたりに事務所を構えていた。好況に伴う地価の高騰で1999年ごろミッドタウンの家賃は急上昇し、みな移ってきたのだった。だからWTC近辺にはよく行ったものだ。
私の自宅のニュージャージー側からは、ウォール街へのフェリーが発着する。その船には、たくさんのトレーダーたちが乗ってマンハッタン島へ通っていた。彼らの多くも犠牲者になったのだろうか。
アメリカでの成功を夢見て13年。いつも自分を鼓舞してくれたのは、堂々と聳え立つ摩天楼だった。その一つが今、目の前から消えたのだ。
これはきっと何かすごいことが起きるに違いない。悪い予感がした。
アメリカという国に対する夢や希望が砕け散るだけではない。私自身の未来に対する漠然とした予感だった。
テレビの画面には突然、黒い筋が出始め、映像が映らなくなる。底知れない恐怖に身体が震えた。
WTCにはテレビ局から発せられた電波のハブがある。電話線のハブもあるし、インターネットのハブもある。だから、WTCをやられたら、テレビも電話も切れてしまう。
同時多発テロ。あの事件の後の私は未曾有のピンチに発たされ、人生の軌道修正を余儀なくされる。
そう、この日は私にとって、人生の転機とも言うべき特別な一日になったのだ。
「グラウンド・ゼロ 9.11同時多発テロのその後」 扶桑社刊 板越ジョージ著
2002年6月10日発刊 プロローグにより